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18日(火)母、逝く

いつものように起きて支度をして会社へ行き、昼まで仕事をして、昼は家内と冷凍の唐揚げとごぼ天で済ませていると親戚のF叔母さんから電話。
母親の様子を聞いて来たが様子も何も、まだ日も経っていないし行っても10分間、何の説明を受けるでもないので報告出来るような事も無い。

午後からも仕事を続けていると1時半頃、O病院から電話。
「お母さんの容態が急変して今お医者様に診てもらっていますがすぐに来てもらった方がいいと思います」

で、課長に事情を話し、隣のI先輩にやり残している業務1つを引き継いで家内に電話。

マンションへ戻って鞄を置きに部屋に入り、車のキーと免許証を取って車に乗った。
車の中から上の姉、下の姉の旦那に電話して親戚のFの留守電に母親の容態が急変した事を録音した。
入れ違いで部屋に入った家内も着換えた後すぐに降りて来た。

高速は順調に走り、2時半頃、病室に着くと上の姉が来ていた。
母親はぽかんと口を開けて横たわっていて全て了解出来た。
姉に「間に合った?」と聞くと首を横に降った。
H先生が「13時51分、苦しむ事無く、眠りに落ちるように亡くなられました」
朝、ゆるいお粥を少し口にしたと言うし、昼には「頭痛くないですか?」という問い掛けに首を横に振っていたそうだ。

しばらくして下の姉夫婦もやって来た。
みんな「その瞬間」に立ち会ってはいないので情緒が爆発する事もなく、涙は一滴程度だったように思う。

3時半くらいになってナースが母親の身体を拭いたり薄化粧をしてくれ、1階の霊安室へ移動。
「ベルコ」の営業マンが来て軽い打ち合わせの後、引き取りに来るまで40分程掛かると言われた。

その間に課長、お隣のUさん、灘に住む母親の弟、お寺さんに連絡。
母親の9月の受診予約のキャンセルなんかも済ませた。

4時過ぎにベルコのシティホールに着いてお寺さんに電話すると5時20分に駅に着くと言った。

お茶を飲んでから通夜、告別式の打ち合わせ兼発注。
途中、家内に駅までお寺さんを迎えに行かせ、枕経を上げてもらった。

そのお寺さんを駅まで送るのは私がやって、車中で御布施の種類と金額の打ち合わせを済ませた。

戻ってまた打ち合わせの続きと供花などの発注。
お供え以外で300万円を超える。
御布施と合わせると400万円近く掛かるのだから勝手に死ぬのも考え物である。
死ぬ前に「家族葬でいい」と言っておかねばならない。

7時に会場を出て家内と実家へ。
Uさんを訪ねると町内会長への報告が必要だという書類を持っていたので式の予定と場所を伝えた。

家に入って母親の腹違いの弟妹達、親父の弟と妹に電話連絡。
神戸の叔母は「うちのパパが死んだ時、誰も来てくれなかった」という話を持ち出して来たのでうんざりしたがこっちは連絡さえすれば用は済んでいる。
まさか来てくれと言うつもりはないので少し不愉快だったが心の中で「はいはい」と言って、それでも声は丁重にお詫びして切った。
母親の写真、生花教授の看板、紙人形、にゃんこのぬいぐるみなどを持って出て姫路へ。

9時頃、「すき屋」でポン酢おろし牛丼と豚汁のセット¥520を食べた。
想像した程美味しいとは思えなかった。
ポン酢おろしは一度に掛けてしまわず、少しづつ掛けるのが正解かも知れない。
家内は途中で残した。

帰ると宅配ボックスにぴょん子がネットで注文した本や靴や服など4個の荷物が届いていた。
着換えて母親のカードを持ってローソンのATMでお金を下ろしに歩いて行くと銀行カードは平日は9時までで使えず。
郵貯カードは上限20万円を2回と10万円1回使って上限の50万円下ろした。
その度に¥210取られるのだから銀行はいい商売である。

会社への報告書をエクセルで簡単に作ってFAX。
暑かったので缶ビール2本飲み、家内、ぴょん子の後、風呂。
体重を測ってラブレ。

夜中の1時20分頃、私は布団に入っていたが、宙太が最終の大阪までの新幹線と最終の新快速を乗り継いで帰って来た。
Commented by Mis.Green at 2010-05-20 08:23 x
なんとも急なことで、言葉もありません。
心よりお悔やみ申し上げます・・・。(泣)
Commented by himesika at 2010-05-21 21:22
ありがとうございますm(__)m
by himesika | 2010-05-18 22:32 | 日記 | Comments(2)